「オランダ病」という言葉を知っていますか?
これは1977年にイギリスの雑誌「エコノミスト」で作られた造語です。
経済学で使われる言葉で、特定の産業(特に天然資源産業)が急成長することで、他の産業が弱体化してしまう現象を指します。
はるか昔の造語なのですが、実は現代社会を捉える上で非常に重要な概念となっているのです。
⚪︎「オランダ」病と呼ばれる背景
1959年、オランダのフローニンゲンでガス田が発見されました。
それ以降、膨大な天然ガスを算出するようになったオランダでは、1973年の石油危機の際、エネルギー価格高騰によって天然ガス売却収入の増大が起こり、この収入を原資に高レベルの社会福祉制度が構築されました。
と、ここまでは貧資源国である我が国日本からすれば大半羨ましい展開です。🫠
しかし、オランダ経済は意外な方向に進みます。
結論を先に言うと、製造業が衰退し、失業率が高まってしまったのです。以下では、その原因について見ていきましょう。
⚪︎オランダ病の原因
オランダは大規模ガス田発見後、多くの国が買い求めたこともあり、天然ガス輸出を急速拡大させました。当然、オランダ製のガスはバカ売れしたのですが、その分オランダの通貨「ギルダー」の為替レートが上昇しました。
※(為替初心者の方にわかりやすく言うと、自国製品を外国が購入する際は自国通貨で取引するため、自国通貨を買う動きが高まり、自国通貨のレートが高まるということです。)
通貨高になると、製造業や他の輸出産業の製品が国際市場で割高になります。つまり、外国から見るとその国の製品が高くなり、輸出が減少します。その結果、製造業や輸出に依存していた企業が経営難に陥り、雇用や経済成長が低迷することになります。
また、オランダという国全体が天然資源に依存しすぎると、資本や労働力が資源関連の産業に集中します。これにより、他の産業(特に製造業や農業)が投資不足に陥り、産業全体がアンバランスになります。つまり、より製造業の国際競争力が落ちていくという悪循環に陥るのです。
さらに、資源価格は市場の変動に大きく左右されるため、資源価格が下落すると国全体の経済も不安定になります。資源依存が進むと、資源価格の変動に経済が大きく影響を受けます。
同時に資源マネーの流入の結果である労働者賃金の上昇によって、輸出製品の生産コスト上昇も加わり、工業製品の国際競争力がさらに落ちたことから経済が悪化しました。
また、経済の悪化に伴い、経済成長下で増大させた社会保障負担が財政を圧迫し、財政赤字が急増しました。
オランダ病の典型的な流れは下記になります!
天然資源の大量発見 → 資源輸出の急増
外貨流入 → 自国通貨の価値が上昇(通貨高)
通貨高による製造業や他の輸出産業の競争力低下
経済の資源依存 → 他の産業の衰退、経済の不均衡
図にまとめると下図のようになります。
〇オランダ病の例
・ナイジェリア
ナイジェリアは1970年代から石油輸出により大きな収益を上げました。
しかし、オランダと同様に、通貨高によって以前の輸出品であるココアとピーナッツの収益が悪化して生産農家は衰退しました。
そのため1986年に世界的な原油価格暴落が起きると、ナイジェリアの生活水準はほぼ半分にまで悪化しました。
・ロシア
ロシアもオランダ病が危惧されている国家のひとつです。
ロシアは1990年代後半から原油輸出を拡大させ、5%台の高い経済成長率を維持してきました。しかし、その伸びが鈍化しつつありました。天然資源輸出が経済成長を支えていることからオランダ病が危惧されています。そのためロシアは2000年代後半から産業多角化に力をいれることで対策としています。
〇オランダ病と台湾
現在、半導体産業で急激な躍進を遂げている台湾。それがオランダ病とどう結びつくのでしょうか。
オランダ病が危惧されている国家の台湾は、世界の半導体産業において非常に重要な役割を果たしており、特に世界最大の半導体製造企業であるTSMC(Taiwan Semiconductor Manufacturing Company、台湾積体電路製造)がその中心的存在です。台湾は、世界の半導体製造と供給の要として、技術革新と高度な生産能力を持っており、さまざまな産業に必要な半導体を提供しています。
台湾は、オランダ病の典型的な例である「天然資源」に依存しているわけではなく、半導体産業という技術集約型産業に大きく依存しています。特に、台湾のTSMC(Taiwan Semiconductor Manufacturing Company)は、世界最大級の半導体ファウンドリ企業であり、世界の半導体供給のかなりの部分を担っています。
しかし、台湾の経済が半導体産業に過度に依存していることは、オランダ病と似たリスクをはらんでいる可能性があります。
〇台湾の「オランダ病」リスク
1. 半導体産業への依存
台湾経済は、特に半導体産業、特にTSMC(台湾積体電路製造)などの大手企業に大きく依存しています。半導体の製造・輸出は台湾のGDPや輸出総額の大きな部分を占めており、台湾は世界の半導体市場において非常に重要な役割を果たしています。しかし、こうした過度な依存は、経済の多様性を損なうリスクがあります。
つまり、経済が一つの産業に偏りすぎると、その産業が低迷したり外部環境が変わった際に、経済全体が大きな打撃を受けやすくなります。
オランダ病の典型的な症状は、特定の産業への過度な依存によって他の産業が衰退することです。
2. 輸出による通貨高のリスク
台湾の半導体輸出が好調な時、世界中の企業や投資家が台湾元を使って台湾の半導体製品を購入するため、台湾元の需要が増加します。これにより、台湾元が他の通貨に対して高騰(通貨高)しやすくなります。
通貨高になると、台湾製品が海外市場で高価に見えるため、輸出が減少するリスクがあります。特に、半導体以外の輸出産業にとっては、価格競争力が低下するため、売上が減少し、企業の利益も減る可能性が高まります。これは他の産業が弱体化し、経済が一層半導体産業に依存するという悪循環を引き起こすリスクを内包しています。
3. 他産業の競争力低下
半導体産業に人材や資本が集中することで、他の製造業やサービス業などの競争力が低下する可能性があります。これは、オランダ病の典型的な症状の一つです。たとえば、台湾の製造業の中でも、特に中小企業や伝統的な産業は、半導体産業に比べて技術革新や設備投資の面で遅れを取ることがあります。また、通貨高により製品が割高になれば、他の製品の輸出競争力が損なわれ、世界市場でのシェアを失う可能性があります。これにより、半導体産業に依存しないビジネスが厳しい状況に追い込まれ、経済全体の成長が一部の産業に集中してしまうリスクが高まります。
4. 技術革新や産業多様化の停滞
半導体産業が主力となる一方で、他の産業への投資や人材育成が遅れることで、台湾全体の技術革新や産業の多様化が停滞するリスクがあります。たとえば、グリーンエネルギー、バイオテクノロジー、AI技術など、次世代の成長分野に対する投資や研究開発が進まなければ、台湾は将来的に半導体以外の新しい成長エンジンを持たないまま、経済成長が停滞する恐れがあります。産業の多様化が進まなければ、グローバルな技術革新の波に乗り遅れ、国際競争力を維持することが困難になる可能性もあります。
5. 地政学的リスク
台湾は、地政学的リスクが非常に高い地域に位置しており、特に中国との関係が経済に影響を与える可能性があります。台湾の半導体産業は世界的に重要な位置を占めているため、仮に地政学的な緊張が高まり、貿易や技術移転が制限されたり、サプライチェーンが混乱した場合、半導体産業が大きな打撃を受ける可能性があります。台湾の経済が半導体産業に依存しているため、この産業が影響を受けると、台湾全体の経済が不安定になりかねません。特に、台湾と中国、あるいは米国との政治的な対立や、国際的な制裁などが台湾の輸出に悪影響を及ぼすリスクが懸念されます。
6. 政府の政策依存と財政リスク
台湾政府は、半導体産業から得られる税収に大きく依存していますが、これは一種のリスクでもあります。半導体産業が好調な時期は豊富な税収を確保できますが、逆に半導体の需要が減少したり、産業が低迷すれば、政府の財政状況が急激に悪化するリスクがあります。また、政府が他の産業に対する投資を後回しにし、半導体産業の振興に力を入れすぎると、経済全体のバランスが崩れる可能性があります。これにより、他の産業の成長が抑制され、台湾経済が半導体に依存しすぎる状態が固定化される恐れがあります。
まとめ
台湾の経済は、特に半導体産業への過度な依存によって、オランダ病のリスクが高まっています。半導体輸出の好調が通貨高を招き、他産業の競争力が低下することや、産業の多様化や技術革新が進まないといった問題が発生しやすくなります。また、地政学的リスクや政府の財政依存による長期的な経済安定性への懸念も存在します。これらのリスクを回避し、経済全体を持続可能なものにするためには、他産業の育成や技術革新の推進、政府の政策バランスが重要な課題となります。
〇台湾の現状と展望
ここまで、台湾がはらんでいる「オランダ病リスク」を見てきました。
現在のところ、台湾は半導体産業の成功を背景に経済的に安定していますが、長期的には他の産業を育成し、多様化することが重要です。
以下では、現状と展望をまとめます。
1. 半導体産業のさらなる発展とリスク
台湾の半導体産業、とりわけTSMCは世界市場で非常に強い競争力を持っています。特に最先端のチップ製造技術においては、世界的な需要が高く、しばらくは成長を続けることが予想されます。半導体の需要は5GやAI、自動運転車などの新しい技術の進展に伴い、拡大していくと見込まれています。
ポジティブな展望
台湾は、世界的な半導体の供給不足を背景に、引き続き高い成長を維持する可能性があります。政府がこの好調な産業を支え、さらなる投資を促進すれば、半導体技術のさらなる高度化が期待でき、国際的なプレゼンスも高まり続けるでしょう。
もし台湾が半導体産業の技術優位性を保ちつつ、グローバルなサプライチェーンを強化すれば、他の産業とも連携し、産業全体の成長を促進する機会を生み出すことができます。
リスク
半導体産業への依存度が過度に高まることで、他の産業が衰退する危険があります。これは、特に世界的な半導体の需要が予期せぬ要因(経済危機や技術革新の転換点など)で減少した場合、台湾経済全体が打撃を受ける可能性を示しています。
地政学的リスクも無視できません。半導体技術は戦略的に重要な産業であり、中国や他国との政治的な緊張が台湾の産業に悪影響を及ぼす可能性があります。半導体に過度に依存している経済は、こうした地政学的リスクに非常に敏感です。
2. 経済の多様化と技術革新
台湾がオランダ病を回避するための重要な展望は、経済の多様化です。半導体産業だけでなく、他の成長分野にも投資を広げ、経済全体が一つの産業に依存しないような構造を作る必要があります。
ポジティブな展望
台湾は、バイオテクノロジーやグリーンエネルギーなどの新しい成長分野に投資を増やし、産業の多様化を図ることが可能です。特に、再生可能エネルギー分野や医療技術の分野は、将来的に成長の見込みが高い領域です。
政府がインフラ投資や研究開発を奨励することで、新しい産業や技術革新が進み、経済が半導体以外の分野でも強い競争力を持つようになることが期待されます。
リスク
経済の多様化には時間と資本が必要で、すぐに成果が得られるわけではありません。もし新興分野への投資が遅れれば、台湾経済が半導体産業の好不調に依存し続けることになり、外的なショックに対して脆弱なままとなる可能性があります。
人材と資本が引き続き半導体に集中すると、他の産業の成長が抑制され、結果的に多様化が進まないリスクもあります。
3. 地政学的リスクの管理
台湾の半導体産業の成功は、国際的な技術競争における強みとして認識されていますが、これが地政学的リスクに直結しています。特に中国との関係や、アメリカとの技術摩擦が、台湾のオランダ病リスクを増幅させる可能性があります。
ポジティブな展望
台湾は、米国や欧州との協力を強化することで、技術分野での安全保障や貿易の安定を確保することが可能です。たとえば、台湾は米国との連携を深め、サプライチェーンの安定性を確保するための貿易協定や技術協力を進めています。
また、台湾が地政学的な緊張を緩和し、地域的な安定を維持できれば、引き続き国際的な技術競争で優位性を保つことができるでしょう。
リスク
台湾は中国との間に深刻な緊張関係を抱えており、もし中国が台湾に対して強硬な態度を取る場合、半導体を含む重要な産業が混乱に直面する可能性があります。このようなリスクは、オランダ病のように産業集中による経済的脆弱性を深める結果を招くことがあります。
また、米中間の技術覇権争いが台湾に不利な形で進展すると、サプライチェーンの混乱や技術移転の制限が台湾経済に打撃を与える可能性も考えられます。
4. 政府の役割と政策
台湾政府は、オランダ病リスクを軽減するために戦略的な政策立案を行うことが重要です。産業政策や財政政策を通じて、半導体産業の持続可能な発展と他産業の成長を支援しなければなりません。
ポジティブな展望
台湾政府が多様化を推進するために、税制優遇措置や研究開発への補助金を導入することで、スタートアップ企業や他の産業分野に資金と人材を誘導できる可能性があります。これにより、新たな成長分野が育成され、経済のリスク分散が進みます。
政府は、教育制度や職業訓練プログラムを通じて、多様な産業に対応できる人材の育成を強化することで、長期的な経済成長を支えることができます。
リスク
政府が半導体産業に依存しすぎて、他の分野への投資が後回しにされると、経済全体がますます一部の産業に偏るリスクが高まります。また、急激な政策変更が産業界に混乱をもたらすリスクもあります。
財政面でも、半導体産業の好不調に大きく依存しているため、景気が悪化した際に財政難に直面する可能性があります。
〇まとめ
台湾のオランダ病リスクに対する展望は、半導体産業の強みをどう活かしつつ、他の産業への依存を減らし、多様化を進められるかにかかっています。経済の多様化と技術革新を推進し、地政学的リスクを適切に管理できれば、台湾は引き続き国際的な競争力を維持し、安定した経済成長を達成することが可能です。しかし、これには政府の政策的支援と、グローバル市場や技術トレンドに対する柔軟な対応が不可欠です。