バブル経済、それは夢のような時代であり、しかしその実、元気の前借りと言わざるを得ません。バブル経済は一時的な繁栄をもたらしますが、それはしばしば過剰な期待や投資に支えられており、持続可能ではありません。このため、バブル崩壊後には、その反動として経済の落ち込みが起こり、結果的にバブル期の「元気」は未来の成長を先に使い果たしてしまったような形になります。
世界史ではさまざまなバブル経済が登場します。今回はその中でも「狂騒の20年代」といわれた、アメリカ合衆国が栄華を極めたバブル時代を解説します!
〇「狂騒の20年代」の少し前
狂騒の20年代の少し前、世界は第一次世界大戦によって、戦火に包まれていました。
第一次世界大戦は、ヨーロッパやアメリカなどの社会に大きな打撃を与えましたが、1918年に終戦を迎え、国際的な復興と再建が始まりました。戦争後の数年間、人々は戦争の悲惨さから解放され、新しい希望と自由を感じました。この戦後の解放感が、経済的繁栄や文化的な革新を推進するエネルギーとなりました。
精神的な解放感
戦争が終わると、多くの人々は「もう二度とこんな戦争は起こしたくない」という強い意識を持ち、平和な時代を楽しもうとしました。この解放感が、自由なライフスタイルや新しい文化の誕生を促進しました。
兵士の帰還と消費の拡大
戦場から戻った兵士たちが社会に復帰し、これに伴って消費が増加しました。人々は戦時中の制約から解放され、楽しむことや消費に対して積極的になりました。
狂騒の20年代が起こった背景には、これらの第一次世界大戦後の解放感と経済成長、新しい技術の普及、文化的な自由の拡大がありました。人々は戦争の悲劇から解放され、新しい生活を楽しもうとし、経済的にも文化的にも大きな変化が起こりました。
〇「狂騒の20年代」とは?
狂騒の20年代(Roaring Twenties)とは、1920年代の西洋社会、特にアメリカとヨーロッパにおける経済的繁栄と文化的な変革が特徴的な時代を指します。この時期は、第一次世界大戦(1914-1918)が終わった後、経済が急成長し、人々の生活が大きく変わった時代です。以下に、わかりやすくポイントをまとめます。
1. 経済的な繁栄
1920年代のアメリカでは、産業が発展し、工場の生産性が大幅に向上しました。特に、自動車産業や電化製品が普及し、多くの人々が新しい商品や技術を手に入れました。例えば、フォードのT型フォードは大量生産技術で一般家庭でも車が買えるようになりました!
株式市場の好況
多くの人々が株式投資を始め、株価が急激に上昇しました。これにより、経済がさらに活気づき、人々は「いつまでも好景気が続く」「株式市場は誰でも儲かる場所」と考えました。この株式市場の活況によって、ウォール街は世界を代表する金融センターの一つになりました。
後述しますが、1920年代のアメリカでは、工業化や都市化が進み、自動車、電化製品、通信技術(ラジオなど)の普及が経済を牽引し、企業の収益が増加しました。株式市場もこの繁栄に伴い、株価が急速に上昇し、多くの投資家が利益を期待して株を買い漁りました。
・株価の急騰
特に1920年代後半、株価は急速に上昇しました。ニューヨーク証券取引所(ウォール街)では、株価は連日記録的な高値を更新し続けました。一般市民も「株式投資をすれば確実に儲かる」という考え方に染まり、多くの人々が市場に参入しました。
・楽観的な投資心理
市場は「永遠に成長し続ける」という楽観的な心理に支配されていました。経済学者や金融関係者の多くは、株式市場の成長が終わることはないと信じており、誰もが利益を得られると考えていました。このため、リスクの高い投資も積極的に行われました。
レバレッジ投資(借金による投資)の拡大
1920年代のアメリカでは、多くの投資家が借金をして株式投資を行いました。これを「信用取引」と呼び、手元資金が少なくても、証券会社からお金を借りて株を購入することができました。
・少ない自己資金で大量の株を購入
多くの人々が、証券会社から借金をして株を購入し、その株価が上がれば借金を返済した後でも利益が得られると考えていました。このレバレッジを使った投資は、株価が上昇している間は非常に有効であり、大きな利益をもたらしました。
・リスクの増大
しかし、株価が下落すると、借金を返済するために株を急いで売却しなければならなくなるというリスクがありました。株価が下がると、負債を抱えたまま損失を被る投資家が急増します。このリスクは当時、ほとんど無視されていました。
投機熱の広がり
ウォール街大暴落以前、アメリカの株式市場は「投機熱」ともいえる熱狂に包まれていました。
・一般市民の参入
以前は裕福な投資家やプロのトレーダーが中心だった株式市場に、一般市民が大量に参入しました。中産階級や労働者までもが株式投資に熱中し、株式市場はあたかも「簡単にお金を増やせる場」となっていました。ラジオや新聞が株式市場のニュースを報道し、株価上昇の話題が広がると、多くの人々が「遅れを取らないように」と市場に飛び込むようになりました。
・新たな投資商品や詐欺的な行為
株価上昇の期待に便乗して、詐欺的な投資商品も増加しました。実体のない企業や収益性の低いビジネスが株式市場に上場し、それらの株が過度に高騰するケースもありました。投資家は株価の上昇だけに注目し、企業の実態や業績をほとんど考慮せずに投資する傾向が強まりました。
経済基盤の問題
1920年代のアメリカ経済は表面的には好調でしたが、いくつかの構造的な問題が潜んでいました。
・農業と産業の不均衡
工業や都市部は繁栄していた一方で、農業は不振に陥っていました。第一次世界大戦中、農産物の需要が高まったため農民は大量に生産し、その後、戦後需要が急減したため、多くの農民が借金を抱えて困窮していました。このような不均衡は経済の底辺でリスクを蓄積していました。
・所得の格差拡大
経済全体が成長していたにもかかわらず、富の分配は不均等でした。多くの富が一部の富裕層に集中しており、一般市民の購買力はそれほど向上していませんでした。このような格差が広がる中で、実体経済の基盤が弱まり、経済の持続可能性が危ぶまれていました。
市場規制の不備
1920年代のアメリカ株式市場は、規制がほとんど存在しない状態でした。現在のような証券取引委員会(SEC)による市場監視やルールはほとんどなく、投機家たちは自由に市場で操作的な行為を行うことができました。これにより、株価が実体以上に膨れ上がり、バブルが形成されやすい環境が整っていました。
・インサイダー取引の横行
インサイダー取引(会社内部の情報を元に株式売買を行うこと)が合法であったため、経営者や内部関係者が自己の利益のために株価を操作する行為も頻繁に行われていました。これにより、一般の投資家がリスクを知らずに過剰な投資を行うことがありました。
2. 文化の変化と社会の自由化
1920年代は、文化的にも大きな変化があった時代です。特に、若者や女性たちが新しいライフスタイルを求め、伝統的な価値観に挑戦する動きが広がりました。
ジャズ音楽の広がり
若者たちの間で新しい音楽やダンスが大流行しました。これにより、1920年代は「ジャズ・エイジ」とも呼ばれることもあります。ジャズクラブやダンスホールが盛況となり、音楽やダンスを楽しむ文化が広がりました。
女性の社会進出
この時代、多くの女性が職場に出るようになり、ファッションやライフスタイルが大胆に変わりました。女性たちは「フラッパー」と呼ばれ、短いスカートやボブカットの髪型、メイクを楽しむようになりました。女性参政権も認められ、女性の社会的な役割が大きく変化しました。
禁酒法とカウンターカルチャー
1920年からアメリカで施行された禁酒法は、アルコールの製造や販売を禁止するものでしたが、逆に人々は隠れて酒を飲むようになり、秘密の酒場(スピークイージー)が繁栄しました。この法的な制約に対抗する文化も、自由奔放な時代を象徴するものとなりました。
3. 技術革新と生活の向上
自動車の普及
自動車は大量生産により価格が下がり、一般市民も手が届く商品となりました。自動車の普及により、人々の移動が自由になり、都市と郊外の発展が進みました。
電化の進展
都市部では電気が広く普及し、家庭用電化製品が登場しました。電気冷蔵庫や掃除機などが一般家庭に浸透し、生活の利便性が大幅に向上しました。
ラジオとメディアの拡大
ラジオの普及は、エンターテインメントや情報の伝達手段として革命をもたらしました。多くの家庭でラジオが導入され、音楽やニュース、広告が一気に広まるようになりました。これにより、ジャズ音楽や映画といった大衆文化が急速に広がり、消費意欲もかき立てられました。
映画産業の発展
映画が人々の娯楽の中心になり、ハリウッド映画が世界的に人気を集めるようになりました。1927年には、初のトーキー映画(音声付き映画)である『ジャズ・シンガー』が公開され、映画の世界はさらに広がりました。
4. 大量消費社会の誕生
戦後の経済繁栄に伴い、人々の消費行動が活発になりました。企業は大量に生産した商品を効率的に販売するために、広告やマーケティングを活用し、消費者の購買意欲を高めました。
クレジットの普及
分割払い(クレジット)のシステムが登場し、多くの消費者が今まで手が届かなかった高額商品を購入できるようになりました。自動車、家電、ファッションなど、あらゆる分野で消費が拡大しました。
広告の発展
ラジオや雑誌を通じた広告が発展し、人々は新しい商品やライフスタイルに触れる機会が増えました。これにより、消費文化が大いに盛り上がり、企業はさらなる経済成長を享受しました。
5. 都市化
1920年代、アメリカとカナダでは都市化がついに頂点に達しました。初めて、人口2,500人以上の都市に住む人が、田舎の小さな町に住む人を超えたんです。
大都市に引き寄せられた人々は、なんと全人口の約15%にも達しました。みんな、都会のスリルに夢中だったんです。
ニューヨークとシカゴは、摩天楼建設でバチバチのライバル関係!「誰が一番高いビルを建てるか?」って感じで競い合いました。ニューヨークが、クライスラービルやエンパイアステートビルで一歩リードしていました。
この時期、金融と保険産業は「おかわり!」と言わんばかりに2倍、3倍に成長。そして、ホワイトカラーのお仕事スタイルもこの時期に大都市で「普通」になったんです。タイプライターをカチャカチャ、電話をピッと取って「はい、こちらニューヨーク証券取引所です!」みたいなオフィスライフが展開されてました。特に未婚の女性たちが事務職に進出。カナダでは、なんと労働者の5人に1人が女性!女性たちがどんどんオフィスを制圧していたんです。
中西部や五大湖地域の都市(例えばシカゴやトロント)は、背後に広がる広大な農地のおかげで成長スピードが早かったです。シカゴは大豆ととうもろこしのおかげで、大きくなったということです。
そして西海岸の都市たちも、1914年に開通したパナマ運河の恩恵をフル活用。「これで東海岸とも楽々お付き合いできるね!」と、西海岸の都市もどんどん発展していったわけです。
〇楽観的な時代の終わり
しかし、、この熱狂は突如として終わりを迎えます。。
時代は1929年、そう、世界恐慌です。
株価の暴落により、多くの人が財産を失い、経済は急激に悪化しました。それまでの経済成長が過度な投資と借金に支えられていたことが原因で、狂騒の20年代は急速に崩壊しました。
この世界恐慌に関しては、別の記事で解説しますので、一旦割愛します!
〇まとめ
本記事では1920年代のアメリカを中心とした、「狂騒の20年代」をご紹介しました。
振り返ってみると本当にすごい時代だとわかります。
引き続きバブル時代に関する記事をあげていきますので、ぜひご覧ください!
〇参考文献